「五時半…」

僕の起きる気配では目を覚まさなかった虎に安心しつつ、もう聞こえない雨の音に気づき負ガラス窓へと進んだ。
雨は降っていない。代わりに濡れて濃くなったグリーンと、それが揺れてキラキラと小さな光を放っている。一歩外へ出ると、驚くほど澄み切った空気に満ちていた。空気中の不純物が雨に落とされ、今日は晴れるぞという日の出の気配、胸一杯に吸い込んだその空気はこの数日の中で一番クリアに感じられ、なんだか泣きたくなるほどだった。

雨上がりの早朝、一人で濡れたプールサイドに腰掛け少し低い水温に爪先を震わす。
「気持ちいい…」そんな呟きを飲み込む穏やかな朝の空気。今日も暑くなるのか、そう思うだけでワクワクして、口元が緩む。

「早過ぎ」

「わ、起きたの」

「ん」

「まだ早いから、もう少し寝てたら」

「……や、起きる。覚めた」

「ふふ、僕も。すっきり起きれちゃったから、また寝るのが勿体ないくらい」

きっと、昨日はやっぱり疲れていたのだ。旅行でしか得られない非日常と、一日中していたセックスに。それが心地よかったのはやっぱりそこに虎がいたからで。
僕の隣に同じように座った虎は「あ、パンツ濡れた」と間の抜けた声で呟き小さくため息を漏らした。

「すぐ海パン履くからいいんじゃない」

「ああ、そうか」

「ルームサービス頼みたいね」

「そうだった」

「あ、ちょうどね、あと三十分くらいで日の出だよ」

「……」

「今日は日の出も日の入りも見れちゃうね」

「すごいな」

「楽しみ」

明るみ始める空を、見上げながら。
日の出の頃に合わせて頼んだおしゃれな朝食を昨日の希望通りプールで食べ、ジャッキーの運転する車でその日のポイントへ向かった。虎が海に出ている間、僕は近くのお店を巡り、またお昼に合流してから寺院巡りとお土産の買い回りをした。昨夜のナイトマーケットとはまた違った活気を楽しみつつ、強い日差しに負けて麦わら帽子まで買ってしまった。
神聖な場所で身も心も清まった気分も堪能し、今日は昨日とは対照的に一日中動き回っていたなと気づく。
あっという間に最終日がやってきてしまう。どうしてこんなに時間が流れるのが速いんだろう。一番のメインでもあるような、サンセットを見ながらのディナーを待つ間ビーチに座ってそんなことを思った。
ジャッキーが予約してくれたお店はまだ水槽で泳ぐ魚や水揚げされたばかりの新鮮な魚介類から好きなものを選び、調理法まで選ぶことの出来るシステムだった。大きな海老に、白身魚、貝類を数種類とお酒、副菜もいくつか。

席は砂浜に設置されたテーブルから好きな場所を選ばせて貰えた。

「今日はキレイに見えそう」

「ね、もう綺麗だよ」

「あはは、レンさんもね」

「ええ?」

「レンさんの声…コトバ?キレイだよね」

「そうかな?初めて言われた」

「日本人そういうこと言わないのかな」

そんなこと言われたのは初めてで、でも純粋に嬉しく。きっとジャッキー自身がキレイな心を持っているからそんなことを思うのだろうと答えた僕は「そういうところ」と、大袈裟に笑われてしまった。

「トラさんも大変ね」

「そう、大変」

「ええ?どういう意味」

「そのままの意味」

「怒るところ?」

「喜ぶところ」

「喜ぶところなの」

「うん」

「……本当に」

「本当に。もういいから、ほら、酒きた」

「あ、ありがとうございます」

「フライングだけど、どうぞ」と、愛想の良いウエイターが三人分のグラスをテーンブルに並べ、ワインを注いでくれた。
一日ずっと、淀みのない突き抜けるような青さを保っていた空がオレンジ色に染まり始めている。傾く日が、穏やかに揺れる水面へ近づいていくほどそれは濃くなり。僕らはサンセットで、盛り上がるビーチの特等席でグラスを合わせて音を立てた。
空と海を繋ぐ瞬間、青とオレンジの混ざり合う瞬間、薄い紫色を作りながら。それは今度こそ泣きたくなるを通り過ぎ、泣いてしまうほど美しく。目の前に大きく広がっていった。それはワインの味も、出てきた料理も、足元の砂の感触も、潮風の匂いも、何もかも、このまま時間が止まって永遠になればいいと、心の底から思う程に。

「レンさんは本当に…」

「キレイ?」

「うん」

「困ったもんだけどな、まじで」

「カミサマみたいだね」

「神様…」

「そう、レンさんは、そういうのに近いネ」

「……はは、だよな」

「トラさんも思う?」

「思う」

この世で一番綺麗な景色だったのではないだろうか。
沈みきった太陽が残して入った淡い紫と濃い紺色の空から目を離し、手元のお酒を煽ったところで虎とジャッキーの視線に気づく。「何?」と問えば二人して「別に」と答え、また何かおかしなことでも呟いていたのだろうかと少し心配になった。でも、まあいいかと思えるほど、今は心がすっきり…晴れやか…いや、なんと呼ぶべきか分からないけれど、雨上がりの今朝のように不純物が一切ない、何の混じり気もなく澄みきっているような、そんな感覚で。

「悪口で、も今だけは許してあげる」

「今だけか」

「えっ、やっぱり悪口?」

「どうだろうな」

「ひどい。あ、ジャッキーも笑ってる」

「ごめんね、でも、レンさんもよくないよ」

「ええ?」

その日の夕焼けは、本当にこの世に存在していたのかと疑うほど美しく、今まで感じたことのなかったものを感じ、胸に抱き、思い返す度目頭が熱くなった。そんなムーディーなディナーだったのに、会話はいつも通りで、明日の予定や最終日のチェックアウト後の過ごし方などの話をして夜も深まった頃に部屋に戻った。
今日も大満足な一日だった。







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